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東京地方裁判所 平成2年(行ウ)237号 判決

原告

延岡健一こと李龍根

被告

足立労働基準監督署長菊地平

右指定代理人

山田好一

村田英雄

佐藤親弘

永田豊

西山貞彦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告が原告に対し昭和五九年三月一六日付でした休業補償不支給処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

第二事案の概要

一  原告は、昭和五七年一二月一一日午後二時半頃、和光電器産業株式会社の日雇い労働者として、東京都足立区加賀町先の竹中土木株式会社・日東建設株式会社共同体の建設工事用変電設備撤去作業現場において仮設のパンザーマスト(組立式電柱)一本の撤去作業に従事した。(争いがない)

二  原告は、昭和五八年八月三一日、あらまし「右作業中に足を滑らせて転倒し、パンザーマストを引き抜いた後の穴に転落して慢性硬膜下血腫、右側半身筋力低下、頭重の傷害(以下「本件傷害」という)を負い、その日の翌日である昭和五七年一二月一二日から昭和五八年七月三一日まで労働することができなかった」との理由で、被告に対し、右の期間の休業補償給付を請求したが、被告は、本件傷害が業務上のものではないとの理由で昭和五九年三月一六日付で不支給処分をした。この処分についての原告の審査請求に対して、東京労働者災害補償保険審査官は昭和六二年三月三一日付でこれを棄却する決定をし、更に原告の再審査請求に対して、労働保険審査会は平成二年六月二五日付でこれを棄却する裁決をした。(争いがない)

なお、右休業補償給付支給請求書の診療担当者の証明欄には、東京都立大久保病院新村富士夫名義の、昭和五八年二月四日から同年七月三一日まで慢性硬膜下血腫(頭部打撲全身打撲による外傷)、右側半身筋力低下、頭重により療養した旨の記載がされていた。(〈証拠略〉)

三  本件は、原告が、休業補償給付請求の理由のとおりの災害を受けたにもかかわらずこれを否定してした被告の不支給処分は違法であると主張し、その取消を求めるものである。

四  被告は、原告はパンザーマストの撤去作業中に足を滑らせて転倒し、尻餅をついて腰部打撲程度の負傷を負ったものにすぎないものであり、その療養の期間中の休業補償及び治療費は事業主から填補されたし、また、硬膜下血腫その他の本件傷病の発生原因は右の負傷が起因するものとはいえない、と主張した。

五  本件の争点は、本件障害がパンザーマスト撤去作業に起因するものか、具体的には、原告がパンザーマスト撤去作業中にパンザーマストを引き抜いた後の穴に転落したかどうか、原告がパンザーマスト撤去作業中にどのような事故にあったのか、である。

第三争点に対する判断

一  パンザーマスト撤去作業について、証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、本件当日和光電器産業株式会社の代表取締役篠原要に案内されて午前一一時頃に現場に到着し、変圧器の撤去作業を手伝った。パンザーマスト撤去作業は午後一時半頃から始められた。パンザーマストは、形式番号R二七の二型マストで、六本の部材(一本の長さ二メートル)を繋ぎ合わせた全長一〇・五〇メートル(末口一三・五センチメートル、元口三五・六センチメートル、標準根入一・七五メートル)の電柱であった。日東建設株式会社の現場監督高橋正昭の立合いのもとに、篠原がパンザーマストの中央にワイヤーを掛け、株式会社村岡組(日東建設の下請)の渡辺昭三の運転するクレーン車で垂直に吊り上げて一気に引き抜く作業が進められた。

2  ところが、パンザーマストは一気に抜けずに上部四本のみが引き抜かれ、根元の下部二本は残されてしまった。そこで、篠原は、残り二本を引き抜きやすくするように、原告に対して根元の埋め込み部分の周囲約五〇センチメートル、深さ約五〇センチメートルをスコップで斜めに掘らせたうえで、残り二本にワイヤーを掛けてクレーンで引き抜いた。抜き取った後の穴は、深さ約八〇センチメートルで、パンザーマストの太さとほぼ同じ形の細い丸穴となった。

3  原告は、スコップで土掘作業をした後、そこから三、四メートル離れたところでクレーン作業を見守っていたところ、近くに自分で掘り上げた水混じりの泥土に足を滑らせて尻餅をついてしまった。その際、原告は、ヘルメットを着用していたが、両手をついて体を支えたので頭を打つことはなく、他に特別異常もなく、ぬれた靴下を絞っただけで立ち上がり、高橋に大丈夫かと声をかけられたものの、頭部の打撲もなんらの痛みも訴えずに仕事についた。そして、原告は、午後四時ころ、朝乗ってきた車に解体されたパンザーマストを積み込んで帰路についたが、途中で突然篠原に対し、実はさきほど滑ったときに腰を打ち、痛いので早く車から降ろして欲しいと言い出し、労災補償すべきことを求めた。篠原は、事故の状況からみて合点が行かなかったが、やむなく当日の賃金全額を支払って原告を途中で下車させた。

二  原告の負傷治療の経過について、証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和五七年一二月一一日の前記作業後、東京厚生年金病院に行き、電柱の解体作業中に穴に落ちて左腰部を打撲したとの自訴で医師の診察を受け、腰部打撲による約一週間の安静と二ないし三週間の治療を要する見込との診断を受けたが、その後三、四回通院して治療を受け、同月一六、七日に治癒した。

2  原告は、昭和五八年一月二四日、医療法人社団大成会長汐病院で歩行がやや不自由であると説明して医師鈴木嘉一の診察を受け、検査のため入院し、高血圧症、右不全麻痺、白内障の診断を受け、降圧剤及び胃腸薬の投与を受けて同月三一日に自己退院した。入院中の同月二六日、原告は、頭部のCT検査を受け、検査医は左頭頂部に脳内出血を疑わせる硬膜下血腫ありとの所見を出した。

3  その後原告は、同年二月四日、東京都立大久保病院脳外科で医師新村富士夫の診断を受けたが、主訴の意味が不明で医師との疎通ができない状態であった。同月七日、同病院で頭部のCT検査と脳圧下降剤の投与を受け、翌八日に入院してから穿頭血腫洗浄術などを受け、右片麻痺、頭重が徐々に軽減したので同年三月三一日に自己退院し、同年七月三一日まで通院を続けた。なお、医師新村富士夫は、同年一〇月六日付の労働基準監督署宛の意見書において、原告の傷病を慢性硬膜下血腫と診断したうえ「昭和五七年一二月一一日の頭部打撲、全身打撲による外傷性要因が重要といえる。」と記載したが、これは原告の昭和五八年八月三一日付の休業補償給付請求書中の災害発生状況欄の「組み立て式電柱の撤去作業中クレーンの運転者との連繋が悪く、クレーンのワイヤロープ先のフックに掛かっていた玉掛け用ワイヤロープを手にもったままブームに振られ、その反動で足を取られ転倒し抜柱した後の穴(径八〇センチメートル、深さ二メートル位)に転倒し頭部及び全身を路面で打撲した。」との記載を参照したに過ぎないものであった。

三  以上一、二の事実によれば、原告は、パンザーマスト撤去作業現場において足を滑らせて尻餅をついた際、軽い腰部打撲の負傷をしたに過ぎず、その後一ケ月半も経過した後に診断された硬膜下血腫の症状が尻餅と関連があるものと認めることは到底できない。

原告は、当法廷において、事故の態様について、大要、「引き抜いたパンザーマストの部材をトラックに積み込む作業を終えたときに、クレーンのアームが頭上にきたので、そのワイヤーを外そうとしたところ、体のバランスを崩し、約三・五メートル先にあったパンザーマストを抜いた後の深さ約一・六メートルの穴に足から滑り落ち、その時に腰部両足等を打ち、ヘルメットがどこかに飛んで穴の上部の壁に頭を打ったが、大声で助けを求めたものの誰も助けてくれなかったので、自分で穴から這い上がった。」と述べ、これに沿う証拠として(証拠略)がある。

しかしながら、前記認定のパンザーマスト撤去作業の状況からみれば、原告の供述のような事故があったとすれば他の作業員に目撃されているものと考えられるが、本件全証拠によっても、原告がクレーンのワイヤーを外そうとし、ヘルメットを飛ばしてパンザーマストの穴に落ちたのを目撃した者の存在を認めることはできないし、また、元口三五・六センチメートルあまりの狭少のパンザーマストの穴に原告が顎の高さまで滑り落ち、頭部を打ったことを認めることもできない。しかも、原告は、その二日後に受診した厚生年金病院では左腰部を打撲したと訴えているだけで、頭部打撲の訴えをした形跡がないばかりでなく、腰部打撲も軽いものであったにすぎないことが推認でき、その後長汐病院、大久保病院で診断された右不全麻痺、慢性硬膜下血腫、頭重がパンザーマスト撤去作業中に起因することを窺わせる事実は本件に現れた全証拠によっても認めることはできない。

第四本件処分について

一  原告の休業補償給付請求のうち、腰部打撲により労働することができなかった昭和五七年一二月一三日から同月一七日までの分は、事業主の和光電器産業株式会社と原告との間で休業補償及び治療費として合計三万五〇〇〇円を支払うことで示談が成立したことが認められる(〈証拠略〉)。

二  同請求のうち、昭和五七年一二月一八日から昭和五八年二月三日までの分は、八日間について高血圧症等により入院加療をしているが、これらが業務に起因したものということはできない。

三  同請求のうち、昭和五八年二月四日から同年七月三一日までの分は、その間に治療を受けていた慢性硬膜下血腫等が業務に起因したものと認めることはできない。

第五結論

以上のとおり本件処分に違法はないから、本件不支給処分は適法であり、したがって、原告の請求は理由がない。

(裁判官 遠藤賢治)

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